人気ブログランキング | 話題のタグを見る

憬れの人の素顔

濃密な家族団らんの時間
  二人が出会ったのは盛岡。彼女はデパートの洋服売り場で働き、支局づとめの彼は客!

  彼の白いワイシャツの胸ポケットに、いつも歯ブラシを指して居るのが不思議でした。
  「なんで歯ブラシを差しているんですか」って聞きました。
  歯が弱いので母親から食後は必ず歯を磨くようにって言われた・・・そうな。

  七歳違いの彼と彼女、自然とお付き合いが始りました。彼は一年後東京へ転勤
  彼女は柳ごうり一個を持って上京、六畳一間のアパートで「神田川」を地でいくような
  生活を2年続けた後、結婚しました。
憬れの人の素顔_f0088569_13222690.jpg

  彼とは・・・この11月、肺がんで亡くなった(73歳)ジャーナリストの筑紫哲也さん!
  このお話は、彼の妻・房子夫人のお話を「婦人○論」で読みました。その一部分です。

  昨年の5月、末期の肺がんを「筑紫哲也NEWS23」で告白しました。その日から
  41歳の長女夫妻、39歳の次女、35歳の長男が家族一丸となって彼を支えたのです。
  「パパから一杯幸せを貰った、恩返しをしたい。できる事は何でもしよう」と!
憬れの人の素顔_f0088569_13335724.jpg

  本屋さんの店頭でこの記事を見つけました。「夫筑紫哲也との出会いから別れまで」
 
  どんな奥さんかなぁ~。きっと素晴しい人なんだ」勝手に想像しました。
  買って帰って・・・大急ぎでめくりました。一瞬エッとおもいました。なんだぁ~とも!
  だって、そこには丸顔の平凡な、お隣の奥さんみたいな人が映っていたからです。
  それから(ムニャムニャ)。何となくワタクスとそっくりなんです。ホントよ^^♪嬉しかったヨ
憬れの人の素顔_f0088569_1341593.jpg

  一進一退を繰り返し、今年の7月鹿児島に転院しました。放射線を照射する範囲を最小限
  に押えられるという医師の元へ。それからの4ヶ月間家族はずっと一緒だったそうです

  鹿児島での4ヶ月間は、40数年の結婚生活の中で一番濃い時間だったようです。
  「もう少し家族との時間をとりたかったな。今、一生懸命帳尻を合わせているんだ」と
  語っていたらしい。帰京して、聖路加病院に再入院11日目の11月7日亡くなりました

  「新婚旅行に行った鹿児島、職場のあった築地、そして育った練馬の家
  なんだか家族みんなで筑紫の人生を辿る旅をしたみたいで不思議な感覚です」と。
憬れの人の素顔_f0088569_1424175.jpg




大好きな筑紫哲也さんでした。
発病からの一年半、どんな闘病生活を送っていたのかなぁ~?
素顔の彼って・・・どんな人なんかなぁって思っていました。家族が一致団結して楽しい
入院生活を送っていたこと、読んで嬉しかったです。
「73年の人生でしたが、それ以上の濃さがあった。亡くなってみて、すごい人だったと改めて
感じます。あの人のものの見方や生き方を、ヤッパリ尊敬します」そう結んでいました。
憬れの人の素顔_f0088569_19352965.jpg

by kazumi1713 | 2008-12-11 14:26