自分の記憶によるイメージを作品に!
「もう、この日曜日で終わるよ!未だ行ってないんでしょ。行かなきゃぁ~♪」
友達に押されました。まだ、ずっと有るような気がしてたのに。
生誕90周年記念「山下清」展
2012年 4月28日→6月17日、わが町の美術館が巡回会場となっています。
この3月大阪を皮切りに福井、佐賀、大分、東京、富山、愛知と一年かけて巡回されます。
行ってきましたよ!大勢の人で、ゆっくりできなかったけど想像していた以上の立派な画伯でした。
「みんなが爆弾なんかつくらなで いきれいな花火ばかりつくっていたら
きっと戦争なんて 起きなかったんだな」
有名な「長岡の花火」の額の横にはこのように書いた説明書きのパネルがありました。
出品作品の180数点のほとんどに彼の行動、言葉の説明がありました。
彼の言葉は、一言ずつ心に響くものばかりでした。だから、時間がかかっちゃいました。
その朝(友達に薦められた翌朝)のこと。
時計を見ると9時を回っていた。今日の予定は・・・と、ぼんやりした頭で考えていたら
おっと、美術館に行くんだっけと、いきなり頭がさえてきた。大急ぎで、開館に間に合った。
新緑がまぶしい中、この催しは大盛況。残すところ3日間というのも拍車をかけて。
「嘘と本当はどのくらいの割合によのなかにあるものだか、わからなくなる。
大勢が本当だといえば 嘘でも本当になるかもわからないので
世の中の事はぼくにはわからないのです」
そりゃぁ、そうじゃ・・・と思いました。どの作品も読んでいると「うんうん」なんです。
こりゃぁ、本を買って帰ろうと思いました。読む片っ端から忘れていくからです。
画伯は(今までヤマシタキヨシと呼び捨てにしていましたが、ごめんなさい。画伯です!)
彼は風景はもとより静物画、さらに陶磁器の絵付けまでと、それは多くのものを手掛けていました。
どちらかというと芦屋雁之助のイメージが濃過ぎるアタシなんです。
今までエッフェル塔は世界一高かったのに
東京タワーができて世界で2番目になってしまったので
パリの人はがっかりしてしまったと思ったら
エッフェル塔は高いだけが自慢じゃなく
エッフェル塔から見下ろしたパリの街の美しさを一番自慢しているので
塔のてっぺんは東京タワーより低くとも、眺めるところはずっと高かった
昭和36年、39歳の時40日間ヨーロッパに出かけています。第一章から三章までの作品のなか
第三章ではこのことが展示されています。
海岸に銅でできた人魚の像があって陸の方に向かって座っていた
ずっと前に別府で地獄めぐりをしたとき、本物の人魚がいるというので・・・(中略)
僕は生きている人魚を見たことがないので 人魚の話は迷信です
ラ・ムスメ(娘)-ゴッホによる1940(昭和15)年
ゴッホが生きているときは絵がさっぱり売れなかったので 今になって絵がいくら高く売れても
描いた人はちっとも得をしない(中略)
絵を描くことを仕事にしている人の絵は その人が生きているうちにお金になった方がいいと思った
清は生きている間に一枚も売れなくて死んだゴッホンことを聞いて
「自分の絵が下手だから売れないと思って がっかりして死んだのだろう」と語ったという。
ロンドンのタワーブリッジー1965(昭和40)年
額縁すれすれまで近づいてみました。うわぁ~っておもいました。
細かい紙切れの一枚一枚を重ねて張ってありました。異なった色が重なりあっています
晩年は目を悪くして、制作を止められていたといいます。
伊藤若仲の「群鶏図」をモチーフにした貼り絵です。
張り絵は色があせるので、20年後に油彩で改めて創作。色が鮮やかな作品です
昭和46年、49歳の夏脳溢血で倒れ49歳の生涯を閉じました。
「今年の花火見物はどこへ行こうかな」
彼が夕食時に話したつぶやきが最後の言葉となったそうです。
自分がよいところへ行こう 行こうと思うと
少しもよいところへ行かれない
良いところへ行こうとしなければ
自然に良いところへぶつかる
良いところへ行こうとするから
良いところへぶつからないんだろう
お詫び
# by kazumi1713 | 2012-06-16 09:28